一昨日、関西の大手私鉄系不動産リートが上場しました。大阪梅田の中心地に多くの物件を保有する電鉄だけに、公募価格を上回る値がつき、関係者はまずはホッとしたことでしょう。この投資法人の取得物件を見ると、やはり当該電鉄もしくはグループ会社所有であった商業ビル等が中心となっている。まあ、当然といえば当然なのだが・・・。私は当初より、リートに対してのイメージがあまりよくない。どうも不動産の不良債権処理の一環として生まれてきたようで、アメリカなどの成立過程と大きく違うような気がするからだ。なんといっても冠をつけたお手盛りがあまりにも多過ぎる。主要株主(1社単独~数社程度)の物件を取得する際に、本当に収益だけを考えて適正(投資家にとって)な価格交渉ができるのだろうか?株主の意向が働かないのだろうか?リートの商品性からいって、取得物件はできるだけ市場価格に比べ安価な方がよい。言葉は悪いが、安くたたけるものはできるだけ安く買いたたくのが、リートにとっての収益確保の大前提である。利回りを考えれば、上物から得られるリターンに対するコストを下げるのは必然の理である。にもかかわらず、買いたたく相手が株主なんて・・。う~ん、果たしてできるのだろうか?まあ、最近はリートへの組み入れ物件が増えてきているので、お手盛り以外の物件比率も上がってきているとは思いますが・・・。でも、従来所有の物件による利回りへの影響は残るはず・・。これはリートだけにとどまらず、株式投資信託などにも見受けられますよね。引受け、販売に関わる一切をグループ内企業が占め、投資先もそのグループ内企業の株式に限定する。なんか恐くないですか?本当に客観的な売買ができるんでしょうか?投資家サイドに立てるんでしょうか?リートなどの比較的新しい金融商品については、やはりもう少しマーケットでの認知期間がないと見極めにくいですよね。それときちんと目論見書を見ること。リートでいえば、投資対象物件や構成比なども載ってます。案外自分に身近なビルやホテルなんかがあったりしますよ。実は、これを見るのは結構おもしろい。街を見る眼が変わります。←ちょっと大ゲサ?
先日、保険評論家で有名な佐藤立志さん著の『そうだったのか!「医療保険」の本当のところ 保険会社はここを教えてくれない』を購入して読んでみました。 やはりみなさん、最近CMや広告でいろいろ惑わされているようで、自分に本当に必要な保険選びが余計にできにくくなっているようです。 この本は分りやすく、「こういう医療保険は入らないほうがいい」と書かれているので、いい目安になるかもしれません。今の時代、売り側のいいなりでモノを購入したり、何かを契約するのは怖いですからね。 私も保険のご相談にのり、保険をご紹介するときには、その方の希望、目的、予算、ライフプランなど訊いた上で保険商品を提案します。 先日、姉に保険を紹介したら、「掛けても何もかえってこないんでしょ・・・」といわれました。確かに、まだまだ掛け捨てタイプに抵抗を感じる方が多いのかもしれません。でも、よくある、「健康ボーナス」はぜんぜんお得じゃないんです。この日記にも何回も書いていますが、健康ボーナスは自分でその保険料を支払っているんです。しかも、入院を何日かしてしまうと(保険会社によって規定が違います)、自分がせっせと払っていたボーナス用の保険料がパーになってしまうんです。それだったら、医療保険はシンプルに「保障」「万が一のための安心料」と位置づけて、貯金なり投資なりは自分でせっせとしたほうがいいと思います。 「掛け捨て」という言葉がいけないのかな・・・。捨てる、なんて言われるともったいないですもんね。言葉のイメージって大切ですね。
このところの新聞やテレビ・雑誌等を見ていると、やたらと腹が立ってくるのは私だけでしょうか?言い訳、すり替え、詭弁のオンパレード。ほんとにこの国のお偉いさん達は、国民に目を向けているのだろうか?*雇用保険料の引き上げ*年金(厚生・国民)保険料の引き上げ 等→これは税金ではなく、保険料負担の問題であり、給付と負担のバランスから生じたものである。(でも、負担は増え、給付は減ってますけど・・・)*住宅ローン減税の縮小*定率減税の廃止 等→新たに税金を課すわけではなく、時限的措置であった減税策を元に戻すだけである。(減らした分を元通りにするのは、増税ではないってか?う~ん???)*公的年金控除の縮小*配偶者特別控除の廃止 等→税率を変えるわけではなく、不公平感を無くすために控除の枠組みを変えるんです。(税額計算の基礎となる控除の縮小・廃止は、必ず税負担の増加を招くんですけど・・・)その他にも今日の朝刊には厚生労働省の医療費抑制の記事が大きく載ってました。国の負担を減らす=国民の負担を増やすなんとわかりやすい論理でしょう。ちなみに私は、上記の例の中でも賛成もあれば反対もあります。一概に負担増となるものすべてが悪いとは思っていません。でも、ほんとに納得行かないんですよ。こんなことでいいのだろうか?「自己責任」という言葉で誤魔化される、国の無責任。「民営化」という言葉で片付けられる、国の無能力。まるで言葉遊びですよね。でも、知らず知らずのうちに言葉が一人歩きして、気付いたら踊らされているんですよね。だからといって、愚痴ったり手をこまねいていてはダメですから・・・。国に頼るのではなくうまく使って、自己責任の名のもとの自由な発想で、明るい未来を切り開く。そう、賢明なみなさんはもうおわかりですよね?経済・金融・お金のことを知って、自分自身のライフプランをよりよいものにして行きましょう。自己責任⇔自由を楽しみましょう。今後もフェイシスがお手伝いいたします。
最近、女性は元気ですね。テレビや雑誌などでも、起業する女性やキャリアアップのために資格を取っている女性の特集などもよく見かけます。今日はその中でも、自宅で開くスクール&サロンを取り上げて、一体どのぐらい稼げるかという記事を見つけましたのでご紹介したいと思います。・フラワーアレンジメント (なるためには) 通学講座:入学金 2万円~ 受講料15万円~ (稼ぎは) 生と一人につき1回 3000円~ ブーケ受注品作成1個 3万円~ 生徒5人×3000円×2回(1ヶ月) =3万円(1ヶ月の収入) ※ブーケ作成の受注があれば結構稼げる・エステティシャン (なるためには) 通学講座:入学金 3000円~ 受講料 48万7000円~ (17回/週1回) (稼ぎは) エステ1回につき 1万円~ お客5人×1万円(1ヶ月) =5万円(1ヶ月の収入) ※お得意さまをゲットできれば1年間で元がとれ るか??・ネイルアーティスト (なるためには) 通学講座:入学金 0円~ 受講料37万円~ (全35回) (稼ぎは) ネイルアート1回につき 2000円~ 生徒1人につき1回 1万円~ お客5人×2000円×2回(1ヶ月) +生徒5人×1万円×1回(1ヶ月) =7万円(1ヶ月の収入) ※出張サービスやスクールも開けば収入アップも!(参考資料:成美堂出版 女の一生のお金、いくらかかる?)その他にもクッキングスクールや占い師というのもあります。個人的には占い師なんて儲かりそう~なんて思ってしまいましたが、ま、現実どれもそんなに簡単ではないんでしょうね。儲けがあっても、材料費や経費などのことを考えますと、プラスマイナス0ということにもなりかねません。ただ、女性の場合、子育て中は外で働けないという場合もあり、うちで仕事ができたらな・・・と思う方も多いでしょう。私も実は子供ができたら何かうちでできたらいいなぁと考えております。今の時代、インターネットで色々な商売が可能です。今からいろいろなところにアンテナを張り巡らし、情報収集をして、「いつか」のために勉強しておくのもいいかもしれませんね。皆さんはどうでしょうか?昔よりはリスクなく起業できる時代ですからね。
私事ですが、先週の土曜日で30歳になりました。やはり女性の30歳は複雑なものですね。0時が過ぎ30歳になった瞬間、「あぁ・・・・」と思いました。子供のとき30歳なんて、もっと大人ですごいのかと思っていましたが、なってみるとこんなものか・・・って感じです。 さて、私は以前にもお話しましたが、ワールドヴィジョンという団体で行っているスポンサーシップに参加しています。私が支援しているのは、ミャンマーに住む5歳の女の子です。昨日、彼女から手紙が来てとてもうれしくなりました。すくすく育っているようで何よりです。 最近、いろいろな国でテロ事件があります。そういったニュースを見るたびに、なぜこの世にはテロリストのような人がいるんだろうと思ってしまいます。普通に生きていたら、「多数の人を無差別に殺したい」などという心境にはならないでしょう。そこまでになってしまう過程は色々あるんでしょうけど、憎しみ・絶望というものが心の中で育っていってしまったんでしょうね。貧困・人種・宗教・政治・・・この世はホント複雑な構造になっています。 私がスポンサーシップに参加している理由はいくつかあるのですが、その一つには、ある一人の子供が多くの人々の温かい支援によって育っていけば、優しい人間に育っていき、その優しさが自然と周りの人に伝播していくのではないかと思ったからです。貧困の中、家族が殺されたり、近所の人たちが殺させていくような中で育った子には、怒り・憎しみ・絶望などを味わいながら生きていってしまう可能性があり、その中からテロリストの中に入ってしまう子もいることでしょう。憎しみが憎しみを生んでしまうわけです。でも、過酷な状況の中であっても、誰かの支援や温かい気持ちに触れることができれば、少なくとも絶望を味わうことはないと思います。 私が日本語学校で日本語を外国人に教えていたとき、ある先輩先生がこうおっしゃっていました。「この教室は世界を縮小したようなもの。戦争しあっている国同士の生徒でも、この場(教室)で理解しあえるようになれば、国に帰ってからも、『一緒に勉強したAさんの国を攻めたくない』などと思うかもしれない。小さなことかもしれないけれど、こういう気持ちが広がっていけば平和に近づくのだと思う。」私も本当にそう思いました。一人の気持ち、一人の力は小さいけれど、それが広がっていけば大きな力になるんでしょう。 今日はまじめにそんなことを考えてみました。
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